再び呼吸する場所へ

2週連続して篠山で古い倉庫や建物を改装して活用しているお店へ。2週目は、ずっと行ってみたかったrizm さんの3周年記念live。こちらもかつての米倉庫を改装した会場。

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集まった演奏者とその場所のオーナー夫妻の、家族のように強くしなやかな繋がりが空間いっぱいに広がって、本当に心の底から揺さぶられるひとときでした。

 

この場をきっかけに繋がる演奏者やアーティストの想いが、そこに集まった人々にも星屑のように舞い降りて、一つ一つの心の中にしっかりと伝わったように思います。

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外の壁の色まで素敵

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 そして、live前にはかつての郵便局を改装した素敵な場所で、よしこさんのグレインパンケーキ! こちらもいつかきっと食べたかったパンケーキ。付け合わせも全部やっぱりとても美味しいよしこさんfoodに大満足

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かつての古い建物が再び呼吸できるようにしてくれた方々に感謝しつつ、そのゆったりとした呼吸のスピードに合わせたままでいたいと思った篠山の夏です。

麦収穫祭

昨年11月に淡路島で種を蒔いた小麦とライ麦

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収穫まで一度、麦踏みに行き、淡路島の農家さんにお世話頂き(基本、麦は放置だそう)

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先月6月上旬に収穫。右がライ麦ライ麦は背丈程に

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あっという間に粉になって届き、種蒔きから一緒にしてきたメンバーでパンづくり&収穫祭を 

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小麦。つぶつぶのままの味はこちらの方が美味しかった

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塩と水とイーストで混ぜる(だけ)

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ライ麦100%のパン & 全粒粉100%のフォカッチャ
なんかかわいい

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どちらもドイツパンか北欧パンみたくなったけど(焼きたての時はおせんべいのようだった!)、粉の味をストレートに味わえる味わい深いパンに。その日は皆でメンバーの内のレストランをされている方の場所で収穫祭、みんなで味わった(の前に、芦屋側で水遊びしながらビールでアペ)。

 

左がぺちゃんこになったフォカッチャ、真ん中がプロが焼いたふっくらパン、右がライ麦100%パン。見た目はそんなに変わらないけど味は違った

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 ご近所さんで一緒に育てて、収穫して、祝ってというのはきっと日常だった昔に思いを馳せながら、それが非日常な今に体験できることに感謝。そしてやっぱり無農薬で育てて、人の手で収穫して食べられるようにする、それをある程度の量を確保するのは沢山の手間がかかっている(収穫も休み休みだった私…)。あらためて毎日を大事にいただきます

Iceland

最近行ってみたかった場所にえいっと早めの夏休み

大地、地層が見たかった、火山の中に入りたかった、という理由

 

火山の国、アイスランド

全てのエネルギーを地熱、水力、自然の力でまかなっている国

 

レイキャビクの街は、広大な火山灰地に対してコンパクトでカラフルな街

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一歩街の外に出れば、ひたすらに広大な大地

せり上がった地層の岩山が続く

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こんな岩山を背景にも所々にお家もあって

羊や馬が完全自由に放牧されている

冬前に頑張って皆で探して集めるらしい

そののびやかさに羊になりたい、と真剣に思った

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ちょうど「ルピン」という花が国中に咲きほこっていた6月末。この花を火山灰地に植えると、10年で食物を育てられる肥沃な土地になるという。それでも、ほとんどの土地はごつごつとしたいつかのマグマが固まったままの大地。こんなに放置なのかと思うぐらい。必要な分はこれでまかなえてるんだろうかなと。

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何もどこもかしこも平坦にする必要はないよねとか、人が減ったら過疎だなんだと悲観的になんとかしようとせずとも、要らなくなった分、返せばいいのにとか

 

海岸線も真っ黒、どこまでも黒い

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惚れ惚れした色んな形に隆起する地層(最近、層ブーム)

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あちこちで大きな滝も。ここはとりわけ有名なところ。見事に晴天!滝の裏では花嫁撮影中、人気スポットらしい(足元ドロドロ、ドレスびしょびしょのずぶぬれだけど)

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こんなところも歩いてました。とてもとても昔に火山が噴火し、マグマがこっちに、こんな風に流れたんだろうな、ということが明らかに分かる足元

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大好きな苔達がこんな荒涼とした地にも生息

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色んな動物達もいる

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現地バスツアーに参加だったので、写真はゆっくり撮れず。なので、これ!という写真は撮れてない、なんて言い訳ですが

 

どれも数千年単位だった国

大地が生きていることを確認できた地

モノよりやっぱりnature

 

生かされている存在として何ができるのか

展示されるということ

2年めの入選となりました。今年は兵庫県立美術館のギャラリー。

昨年は出張が重なって見に行けなかった為、見に行くのは今年が初めてでした。

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最終日とあってかすごい人にまずびっくり。

そしてところ狭しと並べられた写真の数にもびっくり。

 

こういう展示の場合、どう展示するのか効果的なのか考えさせられました。つまり、うわーやっちゃったわ、というのが自分の作品見た最初の感想です。何はともあれサイズ。これだけ沢山あると、やはり目をひくのは大判サイズ。小さいサイズのものは額装が特徴的か、写真によっぽど力がないと完全に埋もれてました。

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左側は既に額装済みのものをつかったので大判のままでしたが、右から2番目はちょっと違った額装にしてみたので、そのせいもあって小さなものにしたのが間違い。この会場のこの展示においては完全に没でした。最低、左のと同じサイズにすべきだった。

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その額装、普通のフレームに入れない方法をやってみたく、北海道のカラマツ合板を使使用。もうちょっとミルフィーユきいてて欲しかった横顔ですが、この方法自体はやってみて良かったし、ある意味コンパクトで家にも飾り易い。つまり展示用ではないっ

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折角だし出してみよと軽いのりで出してきたけれど、本当に出すような写真を撮ってるのか、どこまで時間を割くべきかetc. 考える必要があるなという反省の展示会体験となりました。写真のこと、ちゃんと勉強したい

 

迎へ梅雨 光と影が 誘う闇

 

P.S. ここ最近の写真(+本)評。どう解釈して、どう活かしていこう

・同じ院のコース生の若者男子、媚びない写真として絶賛。お世辞じゃないその言葉に恐縮するぐらいの絶賛ぶり

・どう見てもど素人の写真なんだけど感動させる

・胸がスットするな

・優しさがあふれてる

水無月

出かけしなに段ボールが出されているのを見て気づいた今日から6月

また1つ歳を重ねる月

一つめのこの一年がこの先の道標になったのかは未だ?です

どんな気持ちで今年のその日を迎えるのか、もう少し上がってたいこの頃

 

昨年の秋にEAT LOCAL KOBEで買った苺の苗

水だけやって冬をこすこと半年

見事にたわわな甘酸っぱい苺を楽しませてくれた春でした

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EAT LOCAL KOBEはこの春から毎週土曜日やってるのに、全く行けてないのが悔やまれます。全部自分のせいですが、ほんとに春から週末出ずっぱり

 

出ずっぱりのせいか、この春は沢山のすごい人々にお会いする機会が多かったように思います。すごすぎて下降方向ですが、このタイミングで数々のそのような人々と会う機会が巡って来たのもきっと何か意味があるのかなと

 

今日は尊敬するよしこさんから、よしこさんのコレクションを特集した本が届きました。溜め息と感動すら覚える雑貨の数々。それは多分、ものというより、よしこさんという人を、大事にしているその心を少しでも知っているからだと。最近、素晴らしい人々の本を読んでいるけれど、やはり関心の中心はモノでなくて、その人の心の動きであり心情。はて、今週末でもう院ゼミ一年め折り返し。完全に半分捨ててる

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よしこさんのごはん、食べに行きたいな

 

 

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夏浅し 琵琶の白水 宙(そら)を抱く

 

先日、氷見に向かう湖西線沿いの風景が吸い込まれそうな白く美しい世界で詠んだ(詠まされた)句です。白い琵琶湖と白い空がつながっていて、そのままそこに溶けこんで消えてしまいたかった。そんな夏浅き春の日々でした、とか言ってる場合じゃないよね、と氷見の美人子山羊

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"This is very free"

"This is very free, it means they just do it without thinking, they just have to do it. no theory, no format, the touch here is just free"

 

「生涯を美術作品にかけて生きてきました」

 

「作ろうとして作ったものではなく、つくりたいものが後から後からおっかけてきて作るのだからどの作品にも喜びが溢れている。無意識のうちに作られたものには、作者のいのちが生き生きと息づいている。」河井寛次郎

 

「輝かしくて一時的な存在であることと、有徳で永続的な存在であることと、どちらが大切であるか」 ルソー 学問芸術論

 

偶然か必然か

全て重なる皐月十七日

風は厳しく水もまだ冷たい

 

 

何を撮るのか

久美浜からの家路、今年の卒制組に卒制に向けたアドバイスなどさせて頂きながら、言ってる同じことが全く自分の院用にできていない背筋の寒い5月1日です。言うは易しのなんとやら、第2回ゼミはもう今週末。

 

写真は院の活動の記録でも使うことになりそうだけれど、何を撮るのか未だ見えていません。昨年撮った写真も、写真を始めた3年前に比べると進歩はあったものの、これを伝える為にという明確な意図があってシャッターを押したものではない。素晴らしい風景に出会えるかもしれない場所に行って、幸運にも出会わせてもらっただけであって。

 

今回の久美浜で撮った写真も一部を除いて、全く意思なしの意味無し写真と、まあ仰る通りです。おかげさまで撮影した写真の整理をばっさりさっぱり

 

頭で分かってるだけで何も分かってない、やってもないのに苦手とか言うな、手動かせとかいう話もそういえば先週言われた話。進歩しているのかしていないのか、そんなことを直接言って頂けるうちに何とか進歩したい

 

まずは無駄にシャッター押すのを止める。

 

ただ美しいだけでなく、存在意義のある写真を撮る為に何を撮るのか、迷走は続く

 

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昨年撮影した同じ場所へ、のはずだったけれど、潮が満ちていてこれ以上先へ行けずで違うアングルから撮影。この撮影中も何度か潮をかぶる。昨年とまた表情の違った同じ岸壁。また撮りにこよう

 

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